蕎麦の花には二つの形がある。おいしい一枚を支える、畑の小さな仕組み
白い花が一面に咲く蕎麦畑。写真を撮りたくなる風景ですが、その花を一つずつ見る機会は、案外少ないかもしれません。
実は、日本で広く栽培されている普通ソバには、めしべとおしべの長さが違う、二つの花の形があります。しかも、見た目が違うだけではありません。この組み合わせが、私たちの食べるそばの実ができることに関わっています。
一つの花に、おしべもめしべもあるのに
花には、おしべとめしべの両方があります。それなら自分の花粉で実を作れそうに思えますが、一般的な普通ソバは、自分の花粉では受精しにくい「自家不和合性」という性質を持ちます。
さらに、花の形には、めしべが長く、おしべが短いタイプと、めしべが短く、おしべが長いタイプがあります。専門的には、長花柱花と短花柱花と呼びます。
受精には、基本的に違うタイプ同士の花粉のやり取りが必要です。単に隣に別の株があればよいのではなく、花のタイプの組み合わせも関係する。小さな花の中で、思ったより込み入ったことが起きているんですね。
花粉を運ぶのは、ミツバチだけではない
その花粉を別の花へ届けるのが、花を訪れる昆虫です。ミツバチを思い浮かべる人が多いと思いますが、蕎麦ではハエの仲間なども受粉に関わります。
食事中なら近づいてほしくない虫でも、畑では実りを助ける役割を持つことがあります。見た目の好みと、農業で果たしている働きは別。蕎麦畑を飛ぶ小さな虫も、ただ周囲にいるだけとは限りません。
とはいえ、花に来た虫がすべて同じだけ受粉に役立つ、というわけでもありません。どんな虫が、どのように花を訪れるかを調べることも、農業の研究の一つです。お店では見えない場所に、こうした仕事があります。
満開の畑が、そのまま豊作とは限らない
花がびっしり咲いていると、それだけたくさんの実が採れそうに見えます。でも、花が咲くことと、受粉して実が育つことは、別の段階です。
花粉を運ぶ虫の活動に加えて、天候や栽培条件も収穫に関わります。「白い花が多いから、今年は必ず豊作」と、景色だけで判断することはできません。きれいな花畑は、収穫が約束された状態ではなく、実を作る途中の姿です。
こう考えると、産地名の見方も少し変わります。どこで育ったかという住所だけではなく、畑の環境や、その年の栽培を経て届いた実なのだと分かります。同じ土地の蕎麦でも、毎年まったく同じ条件ではありません。
自分の花粉でも実る蕎麦の研究もある
ここまでの話には例外があります。普通ソバの仲間から、自分の花粉でも実を作れる性質を取り入れる研究が進められてきました。花粉を運ぶ虫が少ない条件でも、実りを安定させることが狙いの一つです。
そのため、「蕎麦は必ず違うタイプの花がないと実らない」と、すべての品種へ言い切るのは正確ではありません。昔からよく知られた性質と、育種によって生まれる性質は、分けて考える必要があります。
品種改良というと、味をよくすることだけを想像しがちですが、安定して収穫できるかも大きな課題です。毎年おいしい蕎麦が食べられることの裏側には、こうした地道な工夫もあります。
花を見に行くなら、畑の外からゆっくり
蕎麦畑を訪ねるなら、公開された観賞場所や見学ルートを選びましょう。畑は写真の背景である前に、作物を育てる仕事場です。花に近づくために無断で入り、茎を踏んでしまってはもったいないですよね。
二つの花の違いは小さいので、その場で見分けられなくても大丈夫です。許可された場所から接写できたら、帰ってから写真を拡大して眺める方法もあります。虫を追い払ったり、花を摘んだりせず、見える範囲を楽しんでください。
食べる前の蕎麦を知ると、白い花畑を見る楽しみが増えます。産地を訪ねた帰りに一枚食べれば、麺の前に花があり、花の間を動く虫がいたことも思い出せるはずです。粉の割合や打ち方とは違うところにも、蕎麦の面白い話はまだあります。